|
監督・脚本・製作・出演:トム・ハンクス 出演:ジュリア・ロバーツ、ブライアン・クランストン、セドリック・ジ・エンターティナー、タラジ・P・ヘンソン、ググ・バサ=ロー 大型スーパーの優秀な販売員ラリー・クラウンは仕事が好きな明るい男。 私生活では離婚してしまって、引き取った自宅のローンをなんとか返済しようとしている。 ところが、ある日経費削減と称してリストラに遭ってしまう。理由は、高卒なのでこれ以上昇進の見込みが無いから。 不景気の昨今、中年男性のラリーにはそうそう転職のチャンスは無い。 向かいの住人、ガレージセールの達人ラマーのすすめで学歴の汚名挽回で大学へ行けよとすすめられる。 ラリーはガソリン代節約のため調達したスクーターで、コミュニティカレッジへ通いだす。 取った授業は、スピーチクラスと経済学。 スピーチクラスの女性講師メルセデス・テイノーは作家志望のブロガーがぐうたらな旦那で、結婚生活にも失望、人気のない授業にもやる気が出ない。 人数制限ぎりぎりで運営している自分のクラスも、ラリーが来なければキャンセルになるところだったが、どうにかスタートした。 スクーターが縁で意気投合した陽気な女の子タリアやその恋人、スクーター仲間、軍隊時代の同期の経営するレストランで得た仕事、もともと前向きな性格のラリーは新しい生活を建て直す気力を得てゆく。 一方で破綻した結婚生活に見切りをつけたテイノーは、ますます落ち込むばかり。 いやはや、明るく前向きな映画には違いないしトム・ハンクスらしさというか、懐かしいトムの原型を確認するような筋立てではあるけれどこれはちょっとしたテレビ版ハートウォーミングコメディってやつか? つまらなくはないし、トム・ハンクスファンとしては否定したくはないけれど、あまりにも古典的な万人ウケねらいじゃないか・・・と思ったら。 え?トム自身の脚本、監督、製作?! トム・ハンクスは、私の中ではマイケル・J・フォックスにつぐ良いアメリカの象徴、ハリウッド映画の良心。 確かにイメージは壊したくないし、その点はしっかり守られている映画だとは思う。 でも、彼はもう60歳に手が届こうとしている、その年相応の人生ドラマや恋物語を考えてもいいのじゃなかろうか。 まぁ、リストラは現実的だろうが。 中年以降になっても甘いラブロマンスから降ろさない欧米の公平さは讃えたいけれど、ジュリア・ロバーツだってもう50。 60、50の恋の鞘当てにはもう少し上品さや、知性が欲しい。 そうじゃないと、漫画チックでは実際には起こりえない戯言に見えてしまうのだ。 世の中の中年男性がこういう起死回生と恋のオマケを夢みているとしたら、はい、その筋立てからは身を引きます・・と遠慮したくなる。 前向きに生きたいよ?恋も愛も捨てないよ? でも、50には50の、60には60のスタイルを見せて欲しいのだ。 「スプラッシュ」や「ビッグ」のトム・ハンクスは壊したくないし、「フォレスト・ガンプ」のあの馬鹿げた一途さが彼の宝だし、新しい何かを期待するのだけれど、青年期の焼き直しのような像はもう要らない。 あと、邦題はキライ! ![]() 作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ 出演:犬山イヌコ 峯村リエ みのすけ 大倉孝二 松永玲子 村岡希美 長田奈麻 廣川三憲 安澤千草 藤田秀世 水野小論 猪俣三四郎 小園茉奈 木乃江祐希 伊与勢我無 萩原聖人 近藤フク 田島ゆみか 山西 惇 先代の命を救ったという伝説のある、庭の楡の古木がベイカー家のすべてを見下ろしている。 この屋敷で豊かな華やかな時代を送った一家と、その末路が周囲の人々の人生を巻き込んでゆく様を知っているのはこの楡と、長くつかえて来た女中のメアリーなのかもしれない。 ベイカー家の長女ティルダと、両親を失った転校生コナは12歳で出会って親友となる。 同級生のリーザロッテに妬まれても、幼なじみのチャドを寂しがらせても、この2人の強い結びつきは長く続いた。 友情を育みながら、二人は女としての幸せを求めて思うように生きようとする。 ハイスクールでバスケットボールのスター選手だったティルダの兄エースは、父親の誇りだった。 ゆくゆくはプロチームへと家族が期待したのに、エースは何故かそれに背いてしまう。 エースの親友カレルは優しいひたむきな青年で女性教師に恋をするが、この関係は世間の非難に潰えてしまう。 青春の光と影を木漏れ日の中で泣き笑うように過ごした後、ティルダは一家の雇われ弁護士だったブラックウッドと結婚し、子供を授かり、同時に小説家への夢を叶えようとしていた。 コナは美術館の学芸員として忙しく働きながら、カレルと結ばれる。 ティルダの息子のひとつ下の娘を育てて、両家は仲のいい交際を続けてやがてティルダの息子とコナの娘も恋をする。 ティルダとコナの未来のために、二人が誓い合って隠した秘密は楡の木だけが知っていた。 華やかな一家の跡取りとして、重荷を背負えなかったエースの秘密。 コナと愛娘を愛しながら、死ぬまで叶わなかったカレルの秘密。 娘たちの結婚を拒まなければいけなかった、コナの秘密。 結婚することはできないまま、年老いたティルダの息子フリッツとコナの娘ポニーは、同じ街で今も会っている。いまはお互いの孫娘が、かつてのティルダとコナのように寄り添い合っている。 事業に失敗して暮らしは傾くばかりで、フリッツは古い屋敷を売るしかない。 しかし、買い手の一家は楡の木を一瞥して、これは伐ってしまおうと言い捨てる。 女中メアリーの語り口を借りて、小さな秘密が錯綜する人生の曲がり角を作り、人が操られるように結末に至る、人生曼荼羅が繰り広げられる。 舞台装置には楡の木が中央に据えてあって、その中庭の場面とそれを眺める今の場面が時間が重なると同時進行になってゆく。 相変わらず長尺の芝居だけれど、この曼荼羅の辻褄が第二部ですとんと腑に落ちると、時間が一気に凝縮されて快感に変る。 そして、人生の後半に差し掛かった年頃の人間の思いが、自分にもふりかかって涙が出る。 女の友情は、男のそれとは全く違うし人生の長きにおいては途切れたり失われたりするものだ。 失われたものが、何かのきっかけがあってふと甦るのは恵まれた偶然だと思うくらいだ。 女は人生の局面で自分自身も変るし、生活の変化にともない求める相手が変る。 今の自分を理解出来ない人間とは、話が噛み合わないようになる。 女が変るのは、自分自身を護るためだけではなく多分、入れ替わる人間関係に応じてゆくのが女の生理だからだろう。 それだからこそ、実際何年も交流が持てる友人をあらためて感動で思い返す。 暮らしも仕事も当時のそれとは全く違っても、波長があうということは私の人間性を受け入れてくれているということだ。 一方で、相容れないと感じたときその相手は自分の表層を、それだけを知っていたのだ。 この舞台でのエースとカレルの関係と、ティルダとコナの関係はそんな根本が全く違う。 良くも悪くもエースをそのまま甘受しようとするカレルは、男同士のそれで、よく友人の借金の肩代わりをして身を滅ぼす男がいることもうなづける。 ティルダとコナは、絆を感じながらもいざとなれば自分の幸せを選ぶ事で相手を裏切るだろう。 実際に、小さな裏切りを繰り返して信じるように人生を編んできた。 その決意さえ、分かり合っているからこそ死ぬ時まで忘れないのだ。 どうして男性の作家が、こういう物語を書けるのか、真実不思議だ。 この人の芝居は、女芝居だなぁ、と思う。 監督:アキ・カウリスマキ 出演:アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン、ブロンダン・ミゲル、ジャン=ピエール・レオー、ライカ 北フランスの港町ル・アーブルで暮らすマルセルは靴みがきを生業としている。 来る日も来る日も、駅や往来で磨ける靴を履く通行人をさがしているが、今の時代では磨ける革靴をはいている市民も数えるほどになっている。 靴屋の店先で商売をしようとしても、店員に門前払いに遭う始末。 世知辛い世の中だが、家で帰りを待つ恋女房アルレッティと、愛犬ライカのために今夜もパンを抱えて家路を急ぐ。 もっとも、パンを買うにも懐が寂しくて、馴染みの近所のパン屋や商店のツケにしてしまう。 ある日、アルレッティが病に倒れて入院してしまう。 もう治らないと余命宣告をされてしまうが、アルレッティはマルセルにそれを測られまいと見舞いには来ないでくれと言う。 その頃港では不法移民の一団が発見されて、そこから少年が一人検挙をすり抜けてマルセルの前に表れる。 少年の名はイドリッサ。 ロンドンに住むはずの母親のもとに渡りたいのだ。 それを知ったマルセルはイドリッサを匿い、渡英する画策をねる。 近所の仲間たちもそれに協力する。 しかし、執念深い警察の警部はマルセルの周りをかぎ回る。 言葉少ないながらも、行きていくささやかな楽しみ。 食べる、話す、微笑む、朝を迎える、そうしたことに満足しているかのような貧しい老人夫妻。 人間として生きていく最低限の平和を抽出したらかくあらん、と言えるような穏やかな暮らし。 花を添える優しさと愛情のひたむきさ。 それを当然のように遂行するマルセルが、ただ母親と会って暮らしたいと切望する少年に手を差し伸べないはずはない。 一方でかけがえの無い女房が、瀕死のベッドに臥せっているというのに、彼は少年をロンドンへ送り届けようと奔走する。 画面は朝の明るさ、夜の暗さと灯りの希望をただ描くだけ。 庭木に咲く花と寄り添う犬が、幸福の象徴のよう。 まぁ、なんとシンプルな人情ものなのでせう。 そして心がけはいつか氷もとかすし、奇跡も起こす。 希望をさらりと絵にしたような、短くさっぱりとした映画。 監督:森田芳光 出演:松山ケンイチ、瑛太、貫地谷しほり、ピエール瀧、村川絵梨、星野知子、伊武雅刀、笹野高史、西岡徳馬、松坂慶子 大手不動産会社のぞみ地所のサラリーマン小町圭は、いわゆる“鉄っちゃん”。 車窓からの風景を眺めながら、それに最適なBGMを聞くのが何よりの楽しみ。 そんな趣味からデートで利用したわたらせ渓谷鉄道でも、彼女そっちのけでイヤホンから流れる音楽に夢中になっていたら、当然ふられる。 「マイペースで楽しむのがいいのかと思って・・・。」 その現場に居合せた、やっぱり筋金入りの鉄ヲタ小玉健太は下町の小さな鉄工所の跡取り息子。 仕事にも、社員の面倒見にも熱心で父親とも仲がいいが、女あしらいには弱くて行く末を心配されている。 鉄とそれにまつわる構造に執心するタイプで、電車に乗ればモーター音に耳をそばだてる。 ひょんなことから再会を果たした二人は、あっという間に意気投合。 ちょうど引越し先を探していた小町に、工場の寮の一室を提供したことで距離はグッと近くなる。 ところが、いきなり小町が九州への異動が決まる。 人が良くて暢気な性格も女性受けがよく、あちこちでモテていた小町は自分に気のある女の子を何人か残していくことになるが、お構いなし。 九州にはまだ乗ったことのない車両が沢山あるのだ。 左遷にも等しい異動だというのに、二つ返事で辞令を受けて、喜び勇んで九州新幹線に飛び乗る。 寂しかった小玉だが、父親のすすめで無理矢理見合いをさせられた女性が、案外に自分の趣味を理解してくれる積極的な子だったので気を良くする。 工場は融資がうまく受けられなくなり、先行き不透明だったが彼女が少し気分を上げてくれた。 しかし、まもなく一方的に破談を告げられる。 傷心の小玉は九州の小町のもとを訪ねて、二人は鉄道の小旅行に出かける。 そこで出会った地元の鉄道マニアのおっさんが、実は小町の会社が口説こうと躍起になっていた取引先の社長だった。 鉄子とは言えないけれど、鉄道で旅するのが好きだ。 これまでの人生で何より贅沢だったのは、前職を失って一年弱を無職で過ごした頃に、青春18きっぷで東北のみならず、中国四国地方まで好きなだけ旅したことだ。 味わった自由さや胸の高鳴りで、仕事の無い暗闇を後にして駆け抜けることができた。 緑の中や、渓谷の深さを、点在する民家の灯りを、どこか懐かしい街並を、スピードあげて吸い込むことが出来る列車の旅は人生のリズムを整えてくれる。 何を聞きながらそのパノラマを堪能するかを考える小町の生き甲斐、自分のことのようによく分かる。 人のいい、でもマイペースすぎる男性群像はこの監督の持ち味なのか。 それに取り込まれず、通り過ぎてゆく要領のいい女たち。 その古くさいコントのようなやりとりは、現代から覗くと“遅れてる”ように見える。 それはとどのつまりは現代のテンポが本当に人の生理に合っているのか?と訊ねられているようにも感じる。 空をひとっ飛びの飛行機も、寄り道も急ぎも自分の足のように出来る自家用車も、好きな人にはそれなりの理由はあるだろうが、停まる駅も決まっている、やってくる時間まで待たないと乗ることが出来ない、そんな制限をかいくぐってどこか知らない場所に降り立つワンダーを私は愛するし、そんな人生でありたいとおもうのだ。
そうした経緯で昨夜。日曜の深夜。
先輩会員Sさんの厚意で、ご予約の枠に入れていただく手はずになった。 最初はこちらの連れもご一緒してもいいでしょうかとお願いしたら、満席になるまではどうぞと寛容に許して下さったけれど、日曜の遅い時間に突然呼び出されてもほいほいと付き合ってくれる友だちもいない。 単身赴くことになったけれど、Sさんはすでに築き上げている人脈で場を盛り上げて下さる同志を募ってくださっていた。 こうして初対面の会員諸子とともに、4人で卓を囲むことになった。 まぁ、この3人の会員の方々は私の初蔓餃苑をサポートしてくださり、撮影のタイミングのアドバイスや、箸をつける優先権を譲ってくれたりと至れり尽くせりで恐縮する。 苑主の山元さんは、そっと厨房に姿を消して計算された程よいタイミングで焼き上がった餃子をテーブルに配してくださる。 レンゲをどう使うか、調味料はどう添えるかなどもさりげなく教えて下さりながら。 我々が餃子を楽しみながら交わす会話にも、厨房から自然に参加して下さる。 あくまで作って提供するという距離感を保ちながらという心遣いが感じられて、餃子に集中しようという熱も上がる。 ![]() これが、まず焼き上がった基本の餃子。 包まれた姿の膨らみのバランス、焼き色の美しさもさることながら、タレを付けずに口に入れた次に肉汁が噛みしめると伝わる、ひき肉ではなく叩いた肉の塊ゆえの底力。 調味料じゃなく、旨味というのはこれだよなぁ、と考えを改める。 普段自分が作っていた餃子は、皮の炭水化物を摂取する後ろめたさもあって野菜の配分を重視して安いひき肉を少量だけ、しっかり味付けした形で練り込んでいる。 野菜を引き立てるには、別の工夫や食材へのこだわりが無くてはならないのに、自分はチープなものでチープな餃子を量産していたのかも知れない、と思った。 ![]() 次はこれ、クオーターパウンダー餃子。 これぞ、しっかりとした肉餃子! 豚肉の醍醐味を存分に味わえ、肉汁のシンプルな濃さを知ることになる。 半分は大葉が巻き込まれていて、風味を盛り立てる。 実は、私はシソ梅系の味が好きではないので避けようかと思ったのだけれど、これは文句なしに引き立て合っていて必要な技だった。 ![]() そして、これが噂の“おかひじき餃子”。 ニラとは違う細いコシのある歯ごたえ。 シャキシャキと音がしそうなくっきりとした存在感は、よく焼いてある皮の中でも損なわれない。 それでいて緑臭さや野菜の苦みなどは全くなく、箸が進む。 数を飽きずに食べたい私には、これはヒットだ。 ![]() このエイリアンの卵を思わせるつやつやの佇まいは、キーマカレー餃子。 うずらの卵とカレーソースが口の中で重なり合う。 さっぱりとした餃子のあとで、刺激的。 甘い福神漬けとのハーモニーは言わずもがな。 ![]() 伝説の◯◯キング餃子は、これほどに輝いていた。 焼き上がった瞬間、漢方の香りがふっと漂って来たような気がしたのだけど、口にしてもそのクセはない。味ははっきりと深みがある。 ひょっとしたら、オカズ的な餃子にはこれが一番有能かもしれない。 パワーが沸くのが感じられる。 ![]() これも興味津々だった、パラダイス家の野菜餃子。 白菜とキャベツの程よいブレンドに、しらすが味付けの役割を果たして海鮮の旨味が引き立つ。 ここまでで、かなり満腹感が振り切れているのだけれどこれも飽きがこない。 会員Hさんは知らず知らずのうちにどんどん口に運んでしまったらしく 「僕が一番食べちゃったんじゃないかなぁ。」と気にされていた。 これは是非作ってみよう! ![]() 「さぁ、隊長さん、共同作業しなくちゃ!」 とSさんの声がかかったチーズクォーターパウンダー餃子は、イタリアに攻め入った中華の兵隊。 パリパリに焦がしたチーズの羽根が円盤のようにテーブルに現れた。 ピザのように、カッターでそれを餃子の数だけ切って分ける。 カッターに苑主の手を添えていただいて、二人で慎重に。 辛くないタバスコをふりかけて頬張ると、クリスピーなチーズに肉が呼応してくる。 いやいや、これはビール党にはたまらないのではあるまいか。 飲めないけど。 このようにして、予約の時間がどんどん過ぎて行って、私は終電の11時43分までに一人駅に戻るつもりだったのに、逃してしまう。 会員のHさん、H(女子)さんとも楽しい話題が弾み、いや私が一方的に騒いでいただけだったかも知れない。 食が進むと同じ速度で、要らないことまで語りだしてしまう。 常連のSさんと苑主がその傍らで 「脅威の新人が現れましたなぁ。」 などと、怯えたささやきをもらしていらっしゃる。 面目ない。 結局、ノンアルコールで餃子を楽しんだ名ドライバーHさんが 「僕が送りますから大丈夫です。」 と、なんと杉並から横浜まで送ってくださることに。 その足で仕事に向かわれるというのに、メンバーそれぞれの自宅を回って下さった。 感謝感激で餃子います。 餃子愛は、人類愛と同義なのだろうか。 世界を繋げるのは、餃子なのかも知れない。 苑主さま、そうなのですね。
| |||