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ふとしたことからこれを思い出して、耳から離れなくなる。 そうかぁ、もう出崎さんはいないんだよな。 この「あしたのジョー2」のすばらしかった事。 この、力石をイメージしたような挿入歌がすごく好きだった。 ブロークンな歌詞が、時代的じゃないか。 歌い手が荒木一郎だったことも覚えてはいなかったのに、こうしてさっと検索してiTunesであっという間に購入出来る、不思議な時代だと思う。 時々自分がこんな時代に生きている事だって夢じゃないかと思う事がある。 明日朝目が覚めたら、昭和のある日ある時にいるのはないかと。 ![]() 今年、オプティミストになるためには何を心がければいいのか? 物事をシンプルにすること、答えを単純に導き出す事、無駄なものは捨てて必要なものはよく見える生活にする事が肝要だな、と思う。 相変わらず職場では上司の際どいキツさ、年下の先輩の眼を合わせない違和感にやれやれとくたびれていたら、新入社員のNさんも同じ事で悩んでいる事がわかる。 不思議なもので私だけがそういう扱いを受けているわけではないんだ、という事が見えてくると途端に理解が容易くなる。 「そういう人なんだよ。私たちが悪いわけではないよ。」 二人がその答えを分かち合う。 こうなったらそれまで日々、些末な嫌みに苛まれていた事を垢のように洗って落とす単純作業に変えられる。 では、と物理的に気になっていた邪魔な持ち物をどんどん整理してゆくことにする。 仕事上やむなく使っていた衣装がシーズンが終わると邪魔な持ち物になっていたので、まとまった分量で業者に売り払い、金くずのようだった貴金属も処分してしまうことにする。 断捨離。 ヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引くという。 断=入ってくる要らない物を断つ 捨=家にずっとある要らない物を捨てる 離=物への執着から離れる 自分をがんじがらめにしているのは、何も物だけではない。 人間関係の中にもそれがある。 知らないうちに気を重くしている人との繋がり、親しいふりをしながら心を開け放っていたわけではなく気ばかり遣っていた関係も双方のために「断」つのが自由で身軽な生活なのだ。 整理しなければ、と思っていた矢先にある言葉の暴力を受けて、目が覚めた。 ずっとこれに耐えていたのならそれは無駄な事だったのだ。 誤ってノックした扉を急いで閉めて、足早に立ち去り私は私に帰る。 もうメールやネットでしかご機嫌伺いをしないようなことはやめて、私を信頼してくれる数少ない友人と電話や、顔を観て話せる時間を大切にしよう。 名古屋の友人が教えて手伝ってくれてSkypeを導入したので、離れた友だちともさっそく声に乗せてコミュニケーションを交わす。 距離を超えて対面出来るような未来に我々はいるのだから、経験も条件も歳も苦難も異なる条件にいても相手が好きなら、興味を持てるなら打ち明け合おう。 打ち明け合えない人とは、別の打ち明け合える人と出会う時間を邪魔しないように別れよう。 お互いを知りたいと思う大切な人と時間を分かち合えないときは、一人の時間を大事にしよう。 次に対話出来る機会に、いいひとときだったと満足するような自分であるように。 いいこともわるいことも、今年もあるだろう。 わるい事は迷わず捨てて、よい事が枝葉をのばす空間を用意するのも自分だ。 追記:脂肪も捨てる!宣言しとく! いまは筋トレも必要だけど、もたついた3kg戻したら、ジムじゃなくてヨガレッスンに戻りたい。 監督:ブラッド・バード 出演:トム・クルーズ、ジェレミー・レナー、ポーラ・バットン、サイモン・ペッグ クレムリンに潜入という使命を帯びて着任したイーサン・ホークとその一味だったが、同時に核を狙ったテロリストがクレムリンを爆破。その犯人の疑いをかけられてしまう。 汚名を着せられてIMFからも登録を抹消されてしまったイーサンたちだが、国家の威信を賭けて大統領は彼らに“ゴースト・プロトコル(架空任務)”を課す。 イーサンの仲間は、旧メンバーから出世した天才ハッカー、ベンジー、美女エージェント、カーター、そして大統領に付いていた謎のアナリスト、ブラントが加わった。 もはや何の後ろ盾もないまま、核テロリストと取引をする女暗殺者がドバイで密会する事を手がかりに超高層ビル“ブルジュ・ハリファ”に集結する。 トムも徐々に歳を取ったが、やっぱりハリウッド映画で青春を彩られた私にとってはこの時代のスターが金をかけて撮った映画は娯楽の定番。 難しい事考えずに観られれば、それで結果オーライ。 超高層ビルでスタントなしで宙吊りになったり、鍛え抜かれたカラダで「カールくん」みたいなしゅたしゅたっとしたフォームで力走したり、パーフェクトな美女エージェントと一触即発な絡みを見せたりと観どころはそれなりに微笑ましく。 前日にテレビでやっていたインディー・ジョーンズの最新作を観ながら、 「実際はおじいちゃんなんだけど、この必死さが垣間みられたとしてもまだハリソン・フォードのヒーローものは観たいんだよなー。 私は育った田舎の映画館でハリウッド映画がただひとつの華やかな夢物語だったから、いまでもスピルバーグとかコッポラとかの映画でスターになった役者を擁護しちゃう。 彼らが、私にとっては寅さんのような存在なんだな。 これは洗脳と呼ばれても仕方がない。下敷きなんだから。」 などと考えていたことが、そのまま反芻された。 トムも、ぼちぼち50代になろうとしている。 いつまでもあの躍動感を体現するのは難しいかも知れないけれど、祈るようにスクリーンに向かうよ。 ![]() ふと、近所のコンビニスタイルのスーパーで七草セットなど見つけて、 「ほー、いままで気付かなかったけど、こんなのあるなら簡単かも。」 と思い立って、今日は七草粥を作る事にした。 案の定、早番で帰って来たら駅ビルのスーパーでこの七草粥セットはすでに半額の投げ売り。 そうでしょそうでしょ、明日残しても売れないし、青菜がほとんどだからあとはゴミみたいなものだからね。 ほくほくと購入して、安上がりゆえに塩っ気が欲しいからとたらこを一緒に買って。 せり、なずな、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。 日本語の響き、きれいだな。 少しだけ鶏ガラスープの粉末を入れて、ふつふつと炊く。 おおむね炊けた頃に細かく刻んだスズナとスズシロを入れてもうひと煮。 湯がいておいたセリ、なずな、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザを刻んだものを仕上げて入れて、出来上がり。 青臭さはあるものの、おお、さっぱりしてて美味しいじゃないの! 大根の葉っぱとか、かぶの葉っぱとか残りそうならちょっと湯がいて刻んで冷凍して、こうしてお粥に入れればいいんだな。 年末年始の疲れた胃を休めるためのものだってのに、結局お腹いっぱい平らげてちょっと苦しい。 まぁ、忘年会も新年会も無く、正月のおとそどころか酒も飲まないんだもの、お粥の必要はないけれど。 しかし、職場のゆるやかなパワハラには確かに疲れ果ててる。 退勤したら、こうした優しい日常を多いに堪能しなければ意味はない。 今年は、こうしたやってこなかったささやかな事を大事にやって行こう。 そして記録はきちんとブログに残そう、これがなければ本当に何もかも思い出せない流されてゆくような毎日なのだ。 去年はtwitterにつらつらと書き棄ててしまった事が多くて、何をどうしてどう思ったのかが雲散霧消してしまった。 あの場はあの場で面白い事は沢山あるし、交流の場でもあるもののTLは回転寿しじゃない。 乾いた皿がもう一度目の前に現れることはない。 新年にはもう一度、記録を残すことを大事にしようと思う。 ![]() やっぱりうちがすき。 今朝、遅い初夢をみた。 結論は、やっぱり癒しは自宅にあってそれを大事に考えるのが自然だということ。 偶然今日、盛岡の友人久居さんのブログを読んでたら彼女も職場には数々のストレスを抱えているものの、早く家に帰りたいと思える事が幸せなのだろうと記していた。 >「家にいたくない、会社行きたい」て思うような毎日はイヤだな… 膝を打ちますよ。 まさにその通り、世間の働き盛りの男性や家庭に悩みを抱えて仕事に逃げる奥様も案外多いものなのかも知れない。 仕事が好きでも、さらに家に帰るともっとホッとする。 そういう空間を持っている事を、それを維持するために働いている事を恵まれていると考えるべきなのだろうね。 私がみた夢は、新しいマンションを買う事になったという夢。 現実世界で最近通勤が近くなった事もあってか、電車に乗っている時間よりも駅から自宅マンションまで歩く道が遠いなぁとよぎる事が時々あったから、それに起因したのかもしれない。 もちろん独り住まいなのは変らないのだけれど、エントランスを入るとコンシェルジュがいるような冷たく広い共有スペースがあって、自分の買った部屋の階に上がるとこれまた広過ぎて巨大なホテルのよう。 部屋番号の見取り図のようなものまで、吹き抜けのエレベーター前には掲示されているんだけどそれを見ても部屋が多過ぎてさっぱりわからない。 内線のインターホンに気がついて、コンシェルジュだか管理人だかにかけてみる。 私の部屋は11号室で、(巨大マンションにないよ、そんな番号)こういう方向に歩いて行けと教わって、おずおずと探しまわる。 人の気配もまるでないので、ようやくその部屋を見つけたときは、間違えて他人の部屋を開けたらどうしようと怖くなる。 そっとドアを開けて入ると、玄関らしきものがなくてすぐにキッチン。 コンクリート打ちっぱなしのような壁に安っぽいカーペットが敷いてあって、シンクの作りはさっぱりとしていて業務用のようにクール。 単身者にはちょっとクール過ぎる設えのような気もするし、この気取りはデザイナーズマンションってことなのかな?と思う。 鰻の寝床のような長い配置で奥の部屋があって、そこは寝室で窓がある。 窓の外は曇っていて、どんな風景が見えたのか覚えていない。 緑はあったけれど、ちょっと見通しは悪くてひょっとしたらあれは中庭だったのかもしれない。 湿っぽい部屋のような気がした。 この部屋に私は変えたいと思ったのかなぁ、と悩む。 キッチンには小さなダイニングテーブル(これもスチールかなんかで座るとひんやりする)があったので、ひとつだけしかない冷たい椅子に腰掛けてお茶でもいれようと思う。 流しの排水溝に茶殻のようなものが残っていて、 「あれ?新築のマンションじゃなかったのか。誰かがいたのかな?」 と戸惑う。 覚えているのはこんなところまで。 目が覚めて、南向きのベランダからカーテン越しにさんさんと陽光が降注ぐのを感じたら、ああ、ここで良かったんだな、と安心した。 植木に水をやって、ベタの水鉢を洗ってエサをやって、珈琲を入れて息をつく。 ささやかながら好きな木調家具があるし、一人分だけどうたた寝にぴったりのソファもあるし、この部屋は冬でも明るくて温かい。 一人暮らしにしては無駄に広いようだけれど、酒も煙草も車もブランド品も宝石も興味がないのだから空間だけを贅沢に使っても勘弁してもらおう。 暮らす場所はここなのだから、大切なのはここだよと夢は教えてくれたのだろう。 うちを整えて、空間をデザインして、さっぱりと生活して行くために働いているんだろ、しっかりしろよ、と夢が念を押す。 そんな初夢。 働きます、黙々と。 小さな幸せを買うために。
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